元メジャーリーガーの新庄剛志さん。
現役時代は派手なパフォーマンスで観客を沸かせるエンターテイナーでしたが、引退後、あまりメディアに露出がなくなりました。
そんな新庄さんは、現在、一体何をされているのでしょうか?
バリ島でエアブラシアートとモトクロスに明け暮れる
現在、新庄さんは生活の拠点をインドネシアのバリ島に移しています。
何でバリ島かというと、エアブラシアートの師匠がバリにいたからだとか。
また、モトクロスのプロレーサーになるため、日夜練習しているとのこと。
…相変わらず何を言っているのかよくわからない(笑)
エアブラシアートって何なんですか?
こんなやつです。
プラモデルの塗装に使うスプレーで描く絵みたいですね。
これの師匠がバリに居るんだ…。
ホント、相変わらずワケ分かんないですね、この人。
現役時代から謎の行動ばかりな新庄さん
新庄さんは高校時代は甲子園に出場することはなかったものの、スカウトから高い評価を受け、1989年秋のドラフトで阪神から指名され(ドラフト5位)プロとなりました。
新庄選手がブレイクしたのは、プロ3年目。
同じく新人だった亀山努選手と「亀新コンビ」と言われ、それまで5年間で最下位4度と低迷していた阪神が最終戦までリーグ優勝を争う原動力となりました。
プロ4年目には年俸が2200万円(推定)になり、約2000万円の車を購入。
残った200万円で生活をしようとしたけれども、税金のことをすっかり忘れていてピンチに(笑)
子どものお小遣いじゃないんだからさ…。
1995年のシーズンオフに突然の引退宣言
契約更改交渉後会見で「野球に対するセンスがないって見切った」と言い出す。
しかし引退宣言後に父親の病気が悪化したことを受け、2日後に撤回。
なんだかなあ。
1999年に野村監督が阪神の監督に就任すると、強肩で鳴らしていた新庄選手に、ピッチャーもやれと二刀流を指示。
今でこそ、日ハムの大谷翔平選手がいますが、この当時は前代未聞のことで、本人もやる気満々でオープン戦にも登板。
このとき球速142km/hを記録。結構速いな。
また、野村監督に「なぜ盗塁しないのか」と尋ねられて、「盗塁に興味がないんです」と返す。
走塁を放棄してどうする…。
敬遠球を打ってサヨナラ勝利
ヒーローインタビュー「明日もかっーつ!」と宣言するも、そのあと12連敗(球団歴代最長タイ)。おいっ…
なお、日ハム時代に幻のサヨナラ満塁ホームランを打った際にも「明日も勝つ!」と宣言した。
翌日、日ハムは勝ったが、なぜか阪神がその日から2連敗。勘弁してください…。
グローブが限界だと言うので引退を決意
2001年にFAでメジャーに移籍し、アメリカでも派手なパフォーマンスでファンを魅了してきた新庄選手。
日本に復帰後所属したのは、古巣阪神ではなく、北海道に本拠を移したばかりの日本ハムでした。
新天地でのチームを盛り上げるために、率先して派手なパフォーマンスでファンの心を掴んでいきます。
そんな新庄選手が現役引退を決めたのは2006年の開幕直後。
その年、日ハムは日本一に輝き、新庄選手は有終の美を飾りました。
引退について聞かれた時、「こいつ(グローブ)がもう限界だと言ってきたので引退を決意した」と発言しました。
この言葉だけを聞くと、相変わらず変な人、となりますが、実は新庄選手のグローブは、阪神入団時に初任給で購入したもの。
18歳の時に8000円で買ったものを、17年間使い続けたのです。
激しいプレイで痛むため、通常グローブはほとんどの選手が1年で新しいものに交換します。
しかし新庄選手は、初任給で買ったグローブを修理しながら、大切に使っていました。
「コイツ(グローブ)がプロ野球人生を長くやらしてくれてると思ってるんで。」と、新庄選手。
派手なパフォーマンスに目を奪われがちですが、野球に対して常に真摯に向き合っていた素晴らしい選手でした。