大泉洋の前世?!

一枚の写真がある。

 

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この男、誰かに似ている。

もう一枚の写真を見てみよう。

 

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そっくりである。

そう、大泉洋だ。

彼は一体何者なのか?

日本の人類学の祖

彼の名は坪井正五郎
1863年2月22日、江戸両国矢の倉(現在の東京都墨田区)に生まれる。

1863年は和暦だと文久三年

この年が何を意味するかは、藩士であれば説明は不要であろう。

文久三年!金八先生!」

藤村Dの絶叫が聞こえてくる(笑)

まさかこのような巡りあわせがあろうとは。


さて、この坪井正五郎氏、実はとんでもない方なのである。
ウィキペディアによると、1886年帝国大学理科大学(東京大学理学部)動物学科卒業後、帝国大学大学院に進学し人類学を専攻。

大学院修了後の1888年帝国大学理科大学助手。

1889年よりイギリスに留学し、1892年に帰国後帝国大学理科大学教授となる。

つまり東大の先生なのである。

なお、お孫さんも東大の先生。

 

また、日本の人類学、考古学の草分けであり、日本における人類学会の創設者。

日本石器時代人=コロポックルアイヌの伝承に登場する小人)説主張したことで知られている。

この面構え、よほど北海道に縁があるんだな(笑)

 

さらにさらに、この坪井正五郎氏、1902年に 正五位に叙され、1904年には勲四等瑞宝章を授章している。

東京ウォーカーで、

「家が伯しゃく家だから」

「もとは住んでたから 田園調布」

と仰っておられた大泉さん。

田園調布ではないが、東京に住んでいて、伯爵ではないが、位階と勲章を貰っている。

かなり昔のことなので、若干の記憶の混乱があるようだが(笑)、大泉さんは真実(笑)を語っていたということで、締めたいと思う。

しかし、本当に似ているな(笑)

 

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