残すところあと2回となった真田丸。大坂冬の陣までは、今回は大坂方が勝つんじゃないかと思える状況でしたが、和睦以降坂道を転げ落ちるように悪化していく状況に、もはや悲壮感が漂い始めています。そんな中、ある決意を固めた信繁は、遠く江戸にいる兄に向けて手紙をしたためます。広げた風呂敷をたたむ作業に入った信繁。その悲痛なる決意に、兄信之は気づくのでした。
兄弟の絆
信繁からの手紙を読んだ信之は、信繁が死ぬ覚悟であることを悟り、大坂に向かうことを稲に伝えます。稲に死ぬなどとどこにも書いていないと言われても、そこは血を分けた兄弟。死ぬ気で敵の本陣に突っ込み、大御所家康の首を取るつもりだと伝えます。徳川四天王本多忠勝の娘である稲としては、主君家康に歯向かう者に対して、それほど肩入れすることは納得できないはずなのですが、長年連れ添った信之の気持ちを汲んで、大坂行きを許します。しかし、真田の家のことを考え、道中は真田の家紋の付いているものを身に着けないようにときつく申し付けます。でも、必ず生きて帰ってきてくださいとデレるとは…。これまでの印象と違いすぎる(笑)
源次郎に食べさせたいと、大量の食べ物を信之に持たせようとするお松さん、あんた、信之の荷物のこと考えてないよね?いささか多すぎるかとと言いつつ、必ず届けるという信之。「また兄弟3人でお茶でも飲みながら、昔話に花を咲かせましょう」と言う松に、「そうなることを願っております」と寂しそうに笑う信之は、そのような未来がもはや訪れることはないことを知っていながら、そんな未来を願う姉への気遣い、優しさだと思うと、切なくなってしまいます。底抜けに明るい姉を見て、祖母とりを思い出す信之。信之の言うことだけが聞こえない婆さまと同じように聞き返す松を見て、懐かしさと、おかしさがこみあげます。
出立の時、お幸さんから渡される大願成就のお守り。「これは?」と中を改めるとそこには銭六文。真田だと分かるものを持つなと言われてるだろうという無粋なツッコミはしません。六文銭にかける願い。それが真田にとってどれほど大切な思いか…。
大坂夏の陣、開戦
大坂城ではまたまた軍議が開かれています。信繁の策は「まずは大坂を出て京を押さえ、伏見を本陣とし、近江瀬田で進軍してくる徳川勢を迎え撃つ。足並みがそろわぬうちに攻め崩し、あわよくば家康の首を取る」うん、これ最初の軍議でも言ってたよね。案の定、軍議のあと又兵衛に「前にも似たような策立ててたよな」勝永には「真田の知恵も底をついたか」とからかわれます。
秀頼公が伏見に出陣すると聞いて相変わらず反対を唱える大蔵卿。じゃあどうするねんと息子に聞かれ、大坂城で敵を迎え撃つ!と主張しますが、それをできなくしたのは他ならないあなたなんですが。ホントこのオバさん害悪だな。要害もできてない城に執着するのは愚策だと反論する信繁に、それを何とか勝ちに持っていくのがお前の仕事だろうと喚くが、だからその策を立てても拒否するババアのせいで話が進まねえんだよと誰か言ってやれ(笑)そこに又兵衛、勝永が自分たちが考えた策を聞けと申し出ます。敵は南から攻めてくるから南側を固めるぞという案。天王寺まで進軍するということですから、冬の陣で家康が陣を張った茶臼山を先に押さえるという策ですな。しかし、東の守りが手薄なのではという長宗我部盛親の指摘に眉をひそめる又兵衛と勝永。いや、そこまで考えとけよ(笑)そこに一瞬で善後策を立てる信繁。ひとまず策はまとまります。軍議のあと信繁に何か言いたそうな大蔵卿。「すべては豊臣家の御ため。茶々さまと秀頼公をお守りするのが私の役目。言葉キツいのは性分です」と少しいい人モードかと思ったら、「ただし牢人は大きらいじゃ」とそこは嫌われ者おばさんの面目躍如でございます。
一方の徳川方の軍議。伊達、上杉、前田、黒田をはじめとする総勢30万。もはや豊臣の勝ち目はありません。今度こそ大坂城を落とそうと意気込む秀忠くん。家康が「落とせるか、佐渡守?」と聞くも正信くんは居眠り中。もはや70を超えたおじいちゃんですから仕方ない。全軍で総攻めをと逸る秀忠を宥め、今一度秀頼に降伏の文を届けようとする家康に、最早秀頼を亡き者にして豊臣を滅ぼすと主張する秀忠。将軍として成長し、父を超えたというところでしょうか。
そして四月二十九日、大坂夏の陣の戦端が開かれます。塙団右衛門、討ち死に。えらくあっさりと濃ゆいキャラがお亡くなりになってしまいました。前回の嫁との会話が完全にフラグでしたな。台所で軍議をひらく牢人衆。道明寺に後藤又兵衛が行くことになります。運命の道明寺ですか。「明石殿、後藤殿をお助け願いたい。後詰として私と毛利殿」そう、信繁も道明寺に向かいます。「長宗我部殿には八尾、若江を押さえ、東高野街道からくる秀忠の軍を食い止めていただく。木村殿はそれを支える」こちらも運命の陣立てが発表されました。「それでは、各々ぬかりなく」といつもの決め台詞が出ますが、心なしか弱々しい。もはや自信に満ち溢れた、必勝の策というわけではないということがこの言い回しからも伝わってきます。
一方の徳川軍。家康は道明寺に後藤又兵衛が入ったという報告を得ます。相変わらず、どこからか情報を得てるな、この狸ジジイ。信繁たちの思惑を外して、自分も東高野街道から大坂入りをし、大和路は伊達政宗に任せます。これが信繁一族の行く末に大きな影響を与えるわけですな。さて、軍議で寝てばかりのお爺ちゃん、本多佐渡。家康からもいいから帰れと言われます。しかし歴戦の策士、後藤又兵衛を潰すための策を持ち出します。調略です。又兵衛に提示した条件は播磨35万石。播磨は元主家の黒田氏の旧領ですね。そこらへんは触れられていませんでしたが…。又兵衛は一蹴して失敗するも「それでよい」と使者に伝える佐渡守。「ただちに又兵衛が徳川の使者と会うたと、豊臣の陣に広めよ。調略に乗ったと噂を流せ。又兵衛はその噂を消すことに必死になる。あとは戦で手柄を立てるしかない。大将が焦れば陣は乱れる。はい、これにて又兵衛の命運は尽き申した」…的ながらあっぱれな策です。ってか、老獪な策略です。大蔵卿辺りはあっさり騙されます。
兄弟の別れ、それぞれの思い
さて真田の陣に信之が到着します。どうにかして信繁に会えないかというところに信伊が信繁に会いに行くことを茂誠より伝えられます。そして信伊と共に大坂城に向かう道中、徳川義直の陣に留め置かれます。まあ怪しい一行ですから、止められても仕方ない。そこに平野長泰が…あんた何で徳川の陣にいるんだよ!詰め寄ろうとする信之。「仕方なかったんだ。あの兵糧は全部取り上げられてしまって、どうすることもできなかったんだ…」と言って逃げ出します。あんた、命に代えても届けるっつったじゃん。今回も信之くんギャグパートを一身に背負ってます。さらに人相改めに来た役人が室賀久太夫。うん?室賀?もしかして…「将軍家旗本、真田隠岐守信伊」と名乗ると「真田?」と顔色が変わります。「待たれよ、真田と言えば真田安房守」「安房守は我が兄でございます」「通すわけにはいかぬ。わが父、室賀正武は真田安房守の罠にはまり」「黙れこわっぱ!!」と信之が一喝!あんたずっと言われ続けてたもんね(笑)「すいません」とビビる久太夫。親父にカミナリ落とされた子どもみたいになってます(笑)
久太夫役のアンジャッシュ児島さんが西村さんに少し顔が似ているのは、やはり意図したキャスティングだったんだろうな。去ってゆく二人を見て、面食らっている顔もよかった(笑)
大坂城に入った信伊と信之。信繁と対面します。信繁の説得を試みる信伊。「前とは事情が違う。かような城でどうすれば勝てる?信濃一国でどうだと大御所様は仰せだ。兄上(昌幸)が終生望んでいた信濃の国主になれるのだぞ」と必死に口説き落としにかかりますが、取り合わない信繁。その様子を見た信之は自分の考えに確信を持ち「源次郎は死ぬつもりなのです。しかも、大御所様を道連れに」と言います。「徳川に歯向かいたいなら歯向かえばよい。ひれ伏したくないならひれ伏すな。しかし死んではならん」「捕まれと申されますか」「そうじゃ。今度もまた、俺は必ずお前を助けてみせる。死に物狂いで江戸と駿府と京を駆け回り、赦免を勝ち取ってみせる」と力強く説得を試みる信之。その姿を嬉しそうに、しかしどこか他人事のように微笑みながら聞く信繁。「そしてまた14年…」もはや、世捨て人として生きることは望んでいないのでしょう。九度山で過ごした穏やかな日々は、そこにいる時にはよかったかもしれない。しかし、九度山を抜け出し、知恵の限りを絞り出して戦ったこの半年を経験したあとでは、最早その穏やかな日々は、死んでいることと同義だということを、信繁は悟っていたのではないでしょうか。「決してお前を死なせはせん!それがワシの使命だからだ」信之が死なせないと言おうとも、捕らえられ、また幽閉されてしまうことは死ぬことと同じ。この戦いを経て、生き残るために死力を尽くしてきた兄弟は、その考えのベクトルが違う方に向いてしまったのではなかったのでしょうか。
「あの時(犬伏)、ワシはお前と父上と三人で誓った。またいつか、晴れて酒を酌み交わそうと。父上はもうおられぬが、ワシはまだ、その約束を果たすつもりでおる」と言う信之。その心残りに応えるために信繁は「では、今、ここで酒を」と言います。しかしその信繁の申し出は、兄の心残りに応えるだけのもので、その先に信繁が生きる未来を見ていないことを悟った信之は拒否し帰ろうとします。「兄上と酒を酌み交わしとうございます」と引き留める信繁。「これは今生の別れではない」と信繁に生きるための未練を残し、信之は去っていきます。本当は信之も酒を酌み交わして楽しいひと時を過ごしたかったのでしょう。けれどもその信繁の願いを叶えてしまえば、信繁にはまたひとつ生きる理由がなくなってしまう。たとえどんな手を使っても、信繁を死なせない、死なせたくない信之の思いが、悲しい別れになってしまったと思います。
後藤又兵衛、木村重成討ち死
五月五日、平野の陣で信繁、勝永が又兵衛に城内で流れる噂について伝えます。本多佐渡の流した又兵衛調略の件です。ってか、これを質す時点で大坂方の綻びが大きいのが分かるのが切ないですな。「本気にしている奴らもいる」「誰だ?」「大蔵卿のババアとか」はい、案の定、乗せられてます。本当に鬱陶しいババアだな(笑)「言いたい奴には言わせておけ、播磨35万石だとさ」という又兵衛に重ねて「実は私も信濃40万石で誘われた」と告げると「なんで俺には声がかからんのだ」と拗ねる勝永。そこで二人に食って掛からないところが勝永の格好いいとこですな。
さて出陣準備をしている又兵衛のところに木村重成くんがやってきます。「後藤さまにはいろいろと学ばせていただきました。お会いできて光栄でした」という重成くんに又兵衛は「戦の前にそういうこと言うとな、必ずどっちかが死ぬってのがお決まりなんだ」はい、ベタベタの死亡フラグです。しかも重成くん首を取られた時恥ずかしくないように兜に香を焚きしめたって…完全に死亡フラグです。道明寺で又兵衛は信繁を待たず伊達軍に攻め込み討ち死に。若江・八尾方面では又兵衛討ち死にの報を知らぬ木村重成も徳川家康率いる13万の軍を相手に戦い討ち死にしてしまいます。次々に命を落としていく豊臣方の武将。陣立てが敵に筒抜けだと信繁が気づいて、有楽斎以外に間者がいたことに思い至ります。「お」の人。五人衆以外に常に聞いていた男が一人いました。そう大角与左衛門。大坂城の台所番です。そして今回ついにその正体が発覚。彼は次回とんでもないことをしでかすはずです。
伊達政宗という男
道明寺を落とした徳川勢は勢いのままに真田勢に襲い掛かります。戦場で対峙する信繁と伊達政宗。「徳川兵に誠の武士は一人もおらんのか!」と啖呵を切る信繁。「もうよい、弾は尽きた」と追い打ちを止める政宗。このやり取りがあったせいとは言いませんが、信繁は妻子の行く末を伊達政宗に託します。このことが、仙台伊達藩に信繁の血脈が受け継がれることとなり、今の世まで信繁の血筋が残ることとなりました。信繁の妻子一行が政宗のもとを訪ねた折にずんだ餅を食べている政宗。「ずんだ餅はお好きかな?」と勧めますが、そもそもずんだはこの時代メジャーじゃないから好きも嫌いもなかろうに(笑)ここまでずんだを推すともはやギャグにしか見えない。信繁の妻子を匿うことに「このこと大御所さまには…」と聞く片倉景綱に対し「申し上げる訳がなかろうが。ワシと真田との密約よ」と漢気を見せたあとなのに(笑)
きり、信繁と一番長く過ごした女
家族を伊達政宗に託した信繁は、明日、家康に決戦を挑むことをきりに伝えます。そしてきりには千姫を連れ、秀忠の陣に向かうように命じます。人質を返すこと、すなわちこれは降伏の段取りを整えるということです。つまり、信繁はこの時点でもはや大坂城の落城は避けられず、家康を道連れにすることしか考えていません。たとえ家康を討ち取っても秀忠がおり、状況は変わらないということです。だからこそ、最期に家康に決戦を挑み、華々しく討ち死にしようということになったのでしょう。おそらく信繁は茶臼山からの要害が完成しなかったことでこの戦の勝利は見通せなくなっていたのでしょう。だからせめて一矢報いるためにどうすればいいかという思考に切り替わったのだと思います。悲しい決意の果ての信之との別れ。死にゆく仲間たちを見て、残された時間は少なく、家族の処遇も急ぎ、あとは自分の思いを果たすのみとなったとき、そばに残ったのはきりでした。千姫を送ったあと、沼田へ戻れと告げてもきりは「いいえ、ここに戻ってきます。こうなったらお上さまとご一緒しますよ、最期まで」と笑います。そして「源次郎さまがいない世にいても、つまらないから」と、内に秘めた思いを久しぶりに口にします。そう、最初からきりは源次郎と共にいて、ずっとそばで同じものを見続けてきました。彼女にとって源次郎は水や空気と同じ、そばにいて当たり前の存在、しかしいなくなると生きていけないものになってしまっていたのでしょう。そして、信繁にとってもきりはそういった存在で…。そのことに気付いた源次郎はきりを抱きしめます。長年の思いが遂げられたきり。「遅い。せめて10年前に…」といったところで口づけ。しかし口づけされたままで「あの頃が私、一番綺麗だったんですから」とムードもへったくれもない(笑)ある意味、うざい女の面目躍如です。いや、ホントいい女になりましたよ、きりは。
「高梨内記の娘に関しては様々な言い伝えがある。真偽はともかく、ひとつだけ確かなのは、信繁に関わった女性たちの中で、最も長く傍にいたのは彼女だということである」
次回、最終回。もはや何も言えません。
ただこの一瞬のためにこの1年はあったと言えます。