直虎の時代 ―天文年間の諸国の様子―

2017年大河ドラマ「おんな城主 直虎」の舞台となる天文年間ですが、他の諸侯はどのような様子だったのでしょうか。

群雄割拠のこの時代、やはりいろいろなことが起こっています。

奥州では伊達氏が内紛、天文の乱


奥州の地では伊達氏が内紛によって、弱体化するということが起きていました。

当時の伊達家当主は伊達稙宗(だてたねむね)。

伊達政宗の曽祖父に当たります。

稙宗の子、伊達晴宗(だてはるむね)の子の伊達輝宗(だててるむね)が政宗の父ですので、まだまだ政宗の生まれる遥か昔の時代です。

 

伊達家の内紛の主役は稙宗と子の晴宗。

ことの顛末ですが、稙宗は戦や婚姻関係を駆使して近隣諸侯を取り込み、勢力を拡大して、最上・相馬・蘆名・大崎・葛西ら南奥羽の諸大名を従属させていました。

その中で稙宗に協力的であった相馬顕胤(そうまあきたね)に、伊達領となっていた相馬氏の旧領の一部を返そうとしましたが、晴宗が猛反発します。

さらに稙宗は、三男・伊達実元(だてさねもと)を、跡継ぎのいなかった越後守護・上杉定実(うえすぎさだざね)の養子にしようと画策。

これに越後で反対する勢力が挙兵して紛争へと発展しました。

対する稙宗は、実元に選りすぐりの家臣100名を随行させることにしたところ、精鋭を越後に送ることは伊達の弱体化に繋がると晴宗が反発。

稙宗の政策に反発する重臣達の支持を受け、ついに稙宗と全面対決となりました。

当初は稙宗方有利で進みましたが、稙宗側の蘆名盛氏が晴宗方に付くと事態は急転。

最終的に時の将軍、足利義輝の仲裁を受け、稙宗が隠居し、晴宗が家督を継承することで和睦が成立しました。

この戦いは天文の乱といわれ、伊達傘下にあった蘆名・最上・相馬が独立。

大崎・葛西に養子として送り込まれていた稙宗の子らも討たれ、伊達家の影響力は失われてしまいました。

 

また、越後では伊達実元の養子縁組が頓挫したことにより、上杉定実は跡継ぎを得られぬまま世を去り、越後守護上杉氏は断絶。

守護代長尾景虎上杉謙信)が越後国主となり、戦国の世に名乗りを上げることとなるのです。

 

井伊家の主家、今川義元についてはこちらをご覧ください。

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