真田丸 最終回感想(ネタバレ)

いよいよ最終回。激動の戦国の世の、最後の大戦もいよいよ大詰めです。

決戦前夜、今生の別れと大騒ぎをする兵達。「真田様のためなら、命なんぞ惜しくないです」という兵に「私は命が惜しい。だから明日も決して死なん。必ずここへ戻ってくる」と鼓舞します。信繁自身がこの戦に勝ち目がないことを一番わかっています。「命を惜しめ。そして必ず勝て」と告げるその真意は、たとえ戦に負けようが、生きていれば何とかなるという気持ちがあったのではないでしょうか。

 大坂城、真田始末記

運命の決戦前夜、最後の懸念事項を片付けるために信繁はある男の元に行きます。そう、大角与左衛門。ずっと信繁たちの策を聞いていたこの男との決着。秀吉への恨みから徳川へ情報を流していたという与左衛門の事情は汲むものの、生かしておくわけにはいかないと、成敗しようとしますが、与左衛門は自ら手に持った串で自刃します。そして夜が明け、決戦の時。各将の布陣を決め、いよいよ総攻撃の準備完了です。この士気なら本当に家康の首を取りそうだな。


出陣前に茶々と話す信繁。死を望んでいるような茶々に、自身と秀頼の死を思い描かせることで、生への渇望を呼び覚まします。怯える茶々に、今後のことを託します。自分が家康の首を取ってくる、その後は豊臣と徳川が折り合いをつける談判となる。次に戦になれば必ず負けるので、戦に勝った後なら良い条件で和睦ができる。大坂城を捨てる代わりに、四国全土を治めることを認めさせるよう進言します。そんな信繁の言動から、茶々は信繁が命と引き換えに家康の首をとるつもりであることを悟ります。自分が愛した親しい人が、自分を置いて先に逝ってしまい続けた茶々は、信繁にも置いていかれることを恐れます。ですが、もはや戦の趨勢は豊臣の大勝利の可能性はなく、家康を討ち取ることが、唯一豊臣を存続させることのできる方法であるため、信繁は自らの命を捧げることを決心したのです。「望みを捨てなかった者にのみ、道は開けるのです」ともはや真田の家訓とも言えるこの言葉を茶々に残します。

 

出陣前の支度中に、「私は、私という男がこの世にいた証を何か残せたのか?」と問う信繁に内記は「人の誠の値打ちというものは己が決めることではございません」と答えます。「誰が決める?」「時でござる。戦国の世に義を貫き通し、徳川家康と渡り合った真田左衛門佐幸村の名は、日本一の兵として、語り継がれるに相違ございません」「どんな終わりを迎えてもか?」「(頷きながら)大事なのは如何に生きたかでございます故」そう、最期まで義を貫き通し、徳川家康と戦い続けた姿が400年経った今なお語り継がれるのは、その生きざまが人の心を打つものだったからに違いありません。お守りの六文銭を見ながら、如何に生きるかという決意を新たに、信繁は戦場へと赴きます。

最後の戦いの幕開け

各々持ち場に着く将たち。各布陣も整い、あとは開戦を待つばかり。しかし明石はいつもお祈りしてるな…。一方の大坂城内。神経衰弱をしている茶々ときり。信繁ときりの関係について「ずっと気になっていました。二人はどんな間柄?」と問う茶々に「一言では説明できませんね」と言い少し考えるきり。ふといい言葉が思いつきます。「腐れ縁」。この二人の関係を言い表すのに、これ程端的で、本質を突いている言葉は他に浮かびません。そう、まさに腐れ縁です。


さて、家康の陣では豊臣方の動きを懸念し、動くことができない状況にあります。そこで本多正純は信繁の裏切りの噂を流し秀頼の足を止め、其の上で和議の案を提示する策を進言します。前回、後藤又兵衛を嵌めた父本多佐渡守と似たような策を立てると家康に言われ、手はずを整えます。受け継がれる意思は、真田だけではなく、徳川方の武将の中にもあるわけで…。


一方の信繁の陣。秀頼の出陣が遅れていることにヤキモキしています。「とりあえずこれだけ先に運んでおいた」と秀頼の馬印が運ばれてきます。最悪秀頼の出馬がなくても雑兵はごまかせるという大野修理。おいおい、勝手に持ってきて大丈夫なのか?案の定、あとで大変なことになります。徳川方の布陣の状況を見て、30万が相手でも勝てると息巻く毛利勝永。たしかに戦を知らない者たちだらけで、大名同士の繋がりも悪いとあれば、歴戦の強者がそろう大坂方に勝ち目はあるでしょう。しかし秀頼の出陣前に戦いは始まってしまいます。秀頼は城内で家康からの手紙と信繁が裏切ったという偽情報に踊らされます。相も変わらず状況の読めない大蔵卿。大角与左衛門よりこのババアを成敗しろと何度思ったことか(笑)


さて、戦場では毛利勝永が破竹の勢いで徳川の各隊を撃破、真田信吉の陣に押し寄せます。待機を命じる信吉に逸る信政は勝手に毛利隊へ向かうも結局返り討ちに合います。
毛利の勢いに乗じて信繁も家康の本陣をめざすため出陣します。その前に出陣をしない秀頼を促すために大助を大坂城へ返します。しかし信繁と共に戦いと願う大助。怪我と若輩を理由に足手まといと突き放す信繁は、やはり親なのでしょう。子に生きてほしいという思いから出た言葉。大助もその真意は分かっているからこそ、最後は頷くしかなかった。悲しい親子の別れです。


自分が寝返るという噂が流れているため、疑いを晴らすためにはこれしかないと信繁はある決意をします。大坂城内では信繁の裏切りの証人として、ある男が秀頼の前に召し出されます。大角与左衛門。信繁が徳川と通じていて、間者と会っているところ見てしまって口封じにあったって、それはあなたがやったことですがな。とどめ刺してなかったせいでまた面倒なことに…。

悲しき決意

一方、戦場の信繁は裏切りの疑いを晴らすために、あるところへ向かいます。そこは真田信吉の陣。真田同士で戦うことで、自分は裏切りなどしていないということを証明するしかなくなったわけで…。三十郎と対峙する信繁。三十郎の攻撃を軽くいなして、「小物にかまうな」と徳川の陣をめざします。そんな信繁の後ろ姿を見送り、自分は一緒に行けないことの口惜しさに三十郎は「源次郎さま!」と叫びます。一番そばに居たい時に、自分の立場が邪魔をする。そして信繁はもう、生きては帰ってこない。置いていかれた寂しさが込み上げた瞬間でした。

 

次々と徳川方を押し込んでいく豊臣方。家康本陣に攻めかかり、三方原以来となる馬印を倒された家康は死を覚悟し、岡山口の秀忠も大野治房に襲われ逃げます。その姿を見て「逃げるのは恥、だけど役に立つ。後ろ向きな選択だっていいじゃないか。恥ずかしい逃げ方だったとしても、生き残ることのほうが大切で、その点においては異論も反論も認めない」という言葉を思い出したのは、秀忠をやっているのが星野源さんだったからでしょうか(笑)

 

戦況が豊臣方有利と見るや、大野修理は「今こそ秀頼公ご出馬の時。城へ戻る」と秀頼を呼びに大坂城に戻ります。その際馬印を掲げている者に「これはどうなされますか」と尋ねられ、「無論持ってまいる」と大坂城に馬印と共に撤退します。その姿に動揺する戦場の兵士たち。さらに大坂城の台所から火の手があがります。だから、与左衛門にとどめを刺してないから…。その様子を見た家康は状況が変わったことを悟り、一気に反撃に転じます。勢いを盛り返した徳川方に押し返される豊臣方。秀頼公の出馬を促す大野修理。しかし直後に「一大事でございます。殿様のお馬印が戻ってきたことで、負け戦と思い込んだ雑兵共が逃げだしております」との報告。それを聞いた大野修理は「なぜ持ってきた!」と叫びます。いや、持って帰るって言ったのあんただからさ(笑)ええっ?!ってなる兵。こんな上司嫌だわ。まだ負けたわけでない、今から出馬するという秀頼。しかし真田も毛利も押し返され、時を逸したため、もはや手遅れになってしまいました。別動隊として動いていた明石隊も撤退を余儀なくされてしまいました。相変わらずお祈りしかしてない明石全澄(笑)

 

覚悟を決め、城から討って出て武士らしく散る覚悟を決めた秀頼の前に、茶々は「行ってはならぬ」と立ちふさがります。「死んではならぬ。生きる手立てはまだあります」と止める茶々。「もはや勝つ見込みなど…」という秀頼に「勝てとは言っておらぬ。生きよと言うておる。母に生き延びるための策があります。望みを捨てなかった者のみ、道は開けるのです」と信繁から伝えられた策を伝えます。

 

ついに大坂城内に徳川方の兵が突入。迎え撃つ豊臣方はもはや十分な戦力もなく、高梨内記は昌幸の位牌を抱え、そして堀田作兵衛は娘同然に育てた姪のすえのことを思い果てます。また、戦場を駆ける信繁も家康の本陣に到達。あの馬上筒を構え、家康に狙いを定めます。家康と対峙する信繁。「殺したいなら、殺すがいい。されどワシを殺したところで、何も変わらん。徳川の世はすでに盤石。豊臣の天下には戻らん。戦で雌雄を決する世は終わった。お主のような戦でしか己の生きた証を示せるような手合いは、生きていく所などどこにもないわ!」「そのようなことは百も承知!されど、私はお前を討ち果たさねばならぬのだ!我が父のため、我が友のため、先に死んでいった愛する者たちのために!」そう、信繁は分かっているのです。たとえここで家康を討っても、もはや戦での勝ちはない。しかしこのあとの交渉を有利にするために、家康を討つしかないというジレンマに。戦場でしかその存在価値を示せない自分は、たとえ生き残っても、自分が原因で(真田がいれば勝てる策があると思われることによる)また戦になってしまう。しかも次は何があっても勝てない戦が。であるならば、ここで家康と刺し違えることでしか、仲間のために力をつくすことはできない。愛するものを再び戦に巻き込まないためにも、自分はここで家康と共に果てるしかないという結論に至ったのではないでしょうか。望みを捨てぬ者だけに、道は開ける。信繁が開きたい道には、信繁の未来ではなく、大切にしている人たちの未来が広がっている。そんな気がしてなりません。

さらば日本一の兵

そして、信繁の最期の時が迫ります。疲れ果て、神社の境内で鎧を脱ぎ休んでいるところに現れた徳川兵に、その首を差し出そうとします。とどめを刺されそうになった次の瞬間!握りこんでいた小刀で襲い掛かってきた兵を撃退します。昌幸に仕込まれた喧嘩の極意。最期の最後まで父昌幸の教えに救われた信繁。しかし「ここまでのようだな」と自害を決意します。長年共に歩んできた佐助に介錯をまかせ、切腹の支度をする信繁。「長い間、よう仕えてくれた。いくつになった?」「55でございます」「疲れたろう」「全身が痛うございます」「だろうな…」と労いの言葉をかけます。そして懐にしのばせておいたお守りの六文銭六文銭にかけた信繁の願いは叶ったのでしょうか。様々な思いをめぐらせ、信繁はその生涯を終えます。享年49。

本多正信とともに旅を続ける信之。領民に慕われている正信に領主の心得を説かれます。そんな正信の元に大坂より火急の報せが届きます。その一言ですべてを察する信之。六文銭に託した信之の願いは儚く散ったのでした…。
7年後、松代へ移封された信之。その松代藩は江戸末期に佐久間象山を輩出するが、それはまだ遠い先の話である…。

 


1年間、真田信繁という男の物語を見てきて、やはり私は彼が好きなんだなと改めて思いました。たまたま真田丸があったとされる高校の出身だったこともあり、この大河が決まった時から楽しみにしていて、始まってからも毎週ワクワクしながら見ていました。そしてクライマックスとなった44回、45回では母校も取り上げられ、感慨深いものがありました。ここ数年、大河は途中で挫折してばかりで、最後まで楽しめたのは風林火山以来です。あの時は最終回のすぐ後に信州へ旅行に行ったりしました。今回も、おそらく年末の帰省の折に真田丸ゆかりの地を訪ねることになるかと思います。

 

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