2016年、暑い夏のある日、私は台湾にいました。初めて触れる台湾の文化はとても活気に満ちていて、新鮮で、一度ではなく、再び訪れたいと思える素晴らしい旅でした。
そんな台湾で、どうしても訪れたい場所がありました。烏山頭ダム。日本統治時代、まだインフラが整わず、水害に悩まされていた台南地域の農業を劇的に変えることとなった、当時東南アジア最大規模のダム。ここにはかつて、台湾の農業の発展にその身を捧げたひとりの日本人がいました。八田與一。日本ではあまり知られていないこの人は、台湾ではとても有名な技術者で、今なお、現地の人たちに敬愛されています。彼を知るための旅。それが今回の旅のメインテーマでした。
台湾旅行記、最終夜。「嘉南大圳を作った男」
台湾最大級の治水事業
1920年、当時の台湾は日本の統治下にありました。当時、台湾南部の地域は大きな川が存在せず、降水量も少なかったため、秋から冬にかけて、水不足に悩まされていました。そこで台湾総督府はダムを作ることにより、その水不足を解消しようとしました。そのダム建設に関わった技師が八田與一です。1920年9月に着工し、完成は1930年4月。総工費5,400万円をかけ完成した烏山頭ダムは、貯水量1億5,000万立方メートルを誇る当時世界最大級のダムでした。この話は映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」でも一部のエピソードが語られていて、大沢たかおさんが八田與一を演じていらっしゃいました。ちなみに「KANO 1931海の向こうの甲子園」は1931年夏の甲子園大会で準優勝した台湾嘉義市の嘉義農林学校野球部の物語です。
この烏山頭ダムを皮切りに、台南地域の治水工事は進み、総延長16,000kmを誇る嘉南大圳として整備され、約15万ha(香川県が約1800平方キロ=18万ha)の農地が広がりました。これは現在でも台湾全土の農地の20%を超える面積をしめているようです(資料館にデータがあったのですが、詳しい数値は失念)。
烏山頭ダムのほとりに佇む八田與一の銅像
現在、烏山頭ダム周辺の一角は八田與一記念公園として整備されていて、八田が当時暮らしていた建物が復元され、大切に管理されていました。また、ダムのほとりには、八田の墓があり、その前に八田の座像が佇んでいました。毎年5月の八田の命日(戦時中、乗っていた船が撃沈され、帰らぬ人となりました)には、こちらの前で追悼式が執り行われているとのことでした。この場所は基本ダムですので、あまり交通の便がよくないのですが、毎年たくさんの人が八田の命日にお参りにくるとのことで、現地の方たちにとても慕われている様子が伝わってきました。
日本人にあまり知られていない八田與一ですが、台湾では教科書に出てくるほどの有名人です。台湾のために尽力したひとりの男の功績が、今なお台湾で語り継がれています。八田與一という素晴らしい人のことを語り継いできてくれた台湾の方々に感謝の気持ちがいっぱいになった旅でした。